祝・三日坊主

三日坊主の生きた証である。

やった後悔、やらなかった後悔

こじらせついでにもう1つ抱えた気持ちを吐き出したい。

 

世の中には「やらない後悔よりやって後悔しよう」って言葉があると思う。

ケースバイケースだけど、確かにやった後悔の方がスッキリした気持ちだとは思う。

 

俺はやった後悔とやらない後悔を同時に抱えてしまった。

 

好きになった人がいた。既婚者だった。俺は仕事を辞めた直後で時間はあったが社会性がなかった。

今にして思えばあの感情は、自分が決して見たこともなかったものを手にしていた彼女への憧れだったと思う。別世界の人のようだった。だからこそ素敵に見えてしまった。

 

相手に好意を持っていた事は、おそらく彼女には筒抜けだったと思うし、俺もそれは分かっていた。

ただ別に自分の気持ちを言葉にして伝えるつもりはなかった。

 

周りの友人からは、やめておけ、引け、と何度も強く言われた。俺の事を思ってくれたいい友人達だと改めて思う。

俺も葛藤したが、結局それに従った。

もっとも気持ちを押し続けたところで、俺の感情が花咲く事がないというのは分かりきっていたのだけど。

 

問題なのは、自分の気持ちの整理の付け方。

自分の不器用さがこんなに腹立たしく感じたのはいつ以来だろう。

彼女は俺の決意など知らず、おそらく今まで通りに俺に接してきた。その度に俺は辛くて辛くて、情けなくも涙を流していた。

 

結局俺は彼女を嫌いになるしかなかった。もっと上手に感情を落ち着ける事も出来ると思うが、俺はその手段を知らない。好きな気持ちを抑えるには嫌いだと気持ちを上書きするしかなかった。

 

おそらくそれは功を奏した、俺の彼女への好きの気持ちは少なくとも表面上はすっかり収まった。

これでよかったんだ、そう納得させていた。

 

しかし、落ち着けたからこそ気付く事がある。

俺は友人を1人失った。

もっと上手く距離を保てていれば、感情を捨て切れていれば、あるいは本音をぶつけていれば、自分が今まで持っていなかったようなタイプの友人として関係を継続、発展させられていたのではないか。

 

もう終わってしまった未来ではあるけど、そんな感情の末路に、せめてその張本人である俺から、お疲れ様とおやすみなさい、そしてさようならを。